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祖神様について


 祖神道の教祖であらせられる松下松蔵、その人は、明治六年三月十日、宇宙万物 の創造主である天津神様から指名を受け、この地球上に使者として御降誕なされ、世の人から、「祖神様」 「親神様」「生神様」と尊信を受け、神人として慕われたのであります。
 祖神様は、三十七万年前に天津神様から約束された方でありました。御生母の胎内に在られる時から、天津 神様から御力を御授かりに成りました。御誕生後は、大正八年に御力を御授かりに成り、更に昭和五年十一月 二十一日に第三回目の御力を御授かりに成られたのであります。その間、修行と修業を積み重ねられ、人間 としての肉体を所有しながら、天津神様に次ぐ魂と御力を所有されるに至ったのであります。
 祖神様は、一体どの様な環境の中で、御育ちになり、どの様な御方であられたのでありましょうか。御尊父は 、正直者で勤勉努力家で、その稼業に熱心な余り、内に対しては頑固一徹な厳格な性格の持ち主でありました。 祖神様の正直一途の稼業振りを面倒がられて、在る時は大声で叱咤され、在る時は鉄拳を揮って殴打されるこ とすらあったのでありますが、親孝行を魂の修業とされた祖神様は、日常生活の中で唯の一度として口答えを なさることが無く、嫌な顔色一つなさらなかったのであります。
 祖神様は、御幼少の頃から別段これと言う教育も御受けに成らず、御身体も強壮ではありませんでした。祖神 様は、普通の子供達とは違っておられ、丁度八歳頃から好んで寺に説教を聞きに行かれたり、神社に講和を 聞きに行かれたのであります。
 十二歳頃から自分に目を向けられ、自己追求と徹底した親孝行に依る魂の修業をなされたのであります。病弱な 祖神様ではありましたが、深い信仰心に依って健康に成られ、それ以後、天津神様を修行の対象と成され、一層 自分に厳しく精進されたのであります。
 大正八年八月七日(西暦一九一九)の夜のことでありました。例に依って御神前にぬかずかれて、祈念祈願して 居られた一刹那、突然祖神様の口から宛も煙でも噴くように、約一升とも思われる程の血が、十分間程もほとばし り出て昏倒し、そのまま・絶息するかと思いの他、祖神様御自身「今、自分は死ぬのではないか、と思った」との ことであり「その吐き出された血こそ肉身に残っていた悪血であった」とのことでありました。この一瞬時に、天 津神様の啓示であるところの四大道即ち忠孝敬神宗祖を喝破され、この時をもって天津神様の御霊気と御神気(御力) が、祖神様の体内に大量に御下りに成り、心身共に天津神様の領域の御方と成られたのであります。
 この突発的な出来事の瞬時から、祖神様の御身体には、不思議にも異常なまでに霊力が加わり、神眼神耳が開かれ、 神通力を得られるに至り、色々な霊的現象、神的現象を披露され、三界を見透されるに至ったのであります。時間 と空間を超越され、人間が生存する現界は無論のこと、霊界も自由自在に透視されるのみならず、天津神様と神話を 交わされたり、死霊や生霊とも交霊されたり、邪霊や動物霊を排除されたり、諸悪霊を支配して使わされたり、又 病者に対しては、病気の根源を見い出して、深い愛情を持って霊的治療(御手数)をされ、天津神様に対して、その 者の御加護を願われたり、数々の予言を成されたのであります。
 祖神様を尋ね求めて集まる人達は、ワラをも掴む思いで、自分の苦しみを取り除いて頂くことや病気を治して頂く ことや除霊して頂くことのみに終始し、祖神様の御力の根源である天津神様の存在、その摂理と啓示、そして祖神様 が、人々に求められた魂の修業、即ち人間完成については驚嘆と同時に、苦しいときの神頼みで、殆んど求め知る余 地がなく、それは偉人と俗人との差としか言いようがなかったのも、疑わざる事実なのであります。
 祖神様は、極めて無造作に「人間の根本は神である。人間は、その分身であり、分霊である。本来は、純真清明の 霊である。然しそうあるべき霊魂が穢れ汚れている為、不幸を招き、不運にとらわれる。霊魂を磨き本来の清明な心 に帰らなければならない。それが神に尽くすべき人の道であり、自己を全うする人の道である。」「私が神通力を発 揮して、多くの患者を治す目的は、難病者を救うと言うだけでなく、世の中には、人間の目に見えない霊界が厳存し て、人の運命を支配していることを立証し、物質文明に捉われて、精神界の因果律を忘却し、無視しつつある現代の 人心を、眠りから醒めよとの神意を顕わすことにあるのだ」と力説され、修業についても、私は「親孝行の為に力を 得た。私は決して願をしたのでもなく、行を積んだのでもない。唯、生まれつき親孝行をすることが好きであった。 一度も親に口答えせず、そむいたこともなかった。元来人間は、親あってこそ自分の身体がある。生まれたのも、育 ったのも皆親の恩である。親あっての自分で、我が身が大切なら、親は猶更大切で、特に親の子に対する愛情は、無 限である。それを思うなら、どうして親を大切に思わずにいられよう。親孝行が人間道の根本だ。今日、私が神通自 在の力を神様から授かったのは、唯親孝行の一事からである。人間の修業は、畳の上の修業(日常生活の中での行い) が本当である」と申され、人々に物事の道理を説かれ、そして「私は、神様ではない。神様のお姿を見、神様の御声 を聞き得るのみである。決して松下と言う人間の力で出来るものではない。神様の御声を聞いて初めてそれが出来るの である。これは、神様が厳存される実証であるのだ」と仰せになると共に「人間は、正しい神様を求め、そして信じ、 感謝しなければならない。自分の霊魂を磨かなければならなぬ。松下の思想、松下の行為そのものに一歩一歩見習って 進むことが肝要である。かくして人間の罪障が取り除かれ、人は幸福を受ける即ち信仰の利益を受け得られるのだ」 と仰せになり、天津神様の存在と信仰に対する姿勢について、声を大にして叫ばれたのであります。
 この様な祖神様でありますから、当時のマスコミが黙って放置する訳が無く、噂が噂をよんで、人から人へと伝わり、 昭和六年十月に主婦之友社の記者が突然御神殿を訪れ、祖神様と直接面談して、天津神様のことや人間のことや祖先の そして記者自身のことや奥さんの病気のこと等を言われ、大変驚き、これ等を体験記として収録し、昭和六年十一月 号の主婦之友に掲載されたのであります。そこで祖神様の日常生活を申しますと、勤厳素朴、極めて質素で慎み深く、 奢らず、威張らず、飾らず、身にまとうは綿布、食するは一采、全く物質世界から離れた超越者であられました。然 るに、祖神様は「人間皆神様の子供であり、人は皆平等に可愛い、親子であっても魂は別だ」と強調され、現実に家 族の者の三度の食事も、信者の人達と同じ食べ物を同じ場所で一緒にさせ、平等に扱われたのであります。
 信者の中には結核患者やライ病患者、その他色々な病気を持った人達が居ましたが、感染もしなかったのであります。 全く不思議の一言に尽きます。一般的な家庭の状況と比較しますと考えられないことばかりでした。
 参拝者に対しても貴賤老若男女の別なく、温顔を持って接せられ、早朝から終日まで、参拝者の願い事を聞き、その者 の魂の内容と状態を見極めて、願うべきは願い、帰すべきは帰し、説くべきは説き、戒める人には戒め、放置すべき人に は放置して、じっと耐えて見守って居られたのであります。
 この様に祖神様は、人を外観で見極めるのでは無く、其の者の魂を見極められ、天津神様を信じ、一心に願う者には 手を差し延べられ「一生懸命願う者は、必ず神様が聞いて下さる」と申されていました。
 それは丁度昭和二十二年十一月十二日のことでありました。祖神様は御年七十五歳にして、御昇天あそばされたのであ ります。人心は乱れ、思想も乱れ、人間性は疎外され、人々は利己的人間に成り、その為刹那的幸福の追求に走り、物質 万能の時代となったのであります。現界での御活躍より以上に、霊界に於いて世界の平和の為に日夜働いて居られるのは、 霊界からの御言葉の通りでありまして、それは厳然たる事実であります。
 昭和五十六年八月頃でありました。当時明治大学宗教社会学者の孝本助教授が、私宅(当時東京在住)に見えられ、祖 神様の研究をしていると言うことでありました。そして昭和五十六年五月二十七日付の熊本日日新聞に(夕刊)に研究内 容の一部を発表されたのであります「熊本に生まれた教祖<神人>松下松蔵、中心に宇宙絶対神、教えの実践に四大道、 社会へも目開く」。祖神様は、霊界より人類に最も必要とする御言葉を下さったり、その御教えは、厳然として生きてお り、それを今現在、人類が必要としているのであります。

人の道

ー幸福を求める人の為にー
松下延明 著より(一部を割愛しています。)

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