(付言)この様になさってかかってからすぐにお願いに来た人などは、忽ち癒され、これを聞き伝えて県内外から、多い日には三百人もの参拝者があり、「マツポシさん」又は「祖神様」の御名は、県下及び近県一円に、知られる様になった。
時には病人に、こう仰せになって。天の一角をにらまれ、その人の星の位置をお変えになった事があった。
ある夜 祖神様は、
と仰せになり御手数なさると平素のお眼と全く異なった、らんらんとした光を発した。又、
と仰せになられると同時に、殺気に満ちた眼光を呈したので、拝見した一同は、大いに驚嘆した。
と仰せになった。
祖神様は父兄が、子供の学校の成績がよくなる様にお願いすると、御手数を下さって皆良くされたが、特にその学生が参拝し御神前でお願いすると、得意、不得意の科目をお見透しになり、
と仰せになり不得意の学科が 上達する様にして下さった。
祖神様の卓越した書面の鑑定力にも皆驚かされた。ある時私がお供をして、さる名流家庭を訪れた時、床の間にかけてある書を御覧になり、
と仰せになり、書にも魂があることを名言された。後で聞くとこれが、勝海舟の書であった。
刀を鑑定される時も、刀を抜かずに鞘の上から御覧になり、
と百発百中おあてになり、又、
と仰せになった。
(付言)奇抜な話のようだが決して嘘ではない。現にE中将家伝来の宝刀は、確かに病魔を払い除ける威力を現すとの事である。
鹿児島県姶良郡清水村のKさんは、顎骨癌にかかり、鹿児島県立病院で治療を受けていたが、絶望的状態となり、同市のM医師の勧めで、長洲に参拝し、祖神様の御手数を戴いたところ、不治と思った病気が、一週間程の お籠りで軽快し、夢かと喜んで帰った。後日、その時に同行した奥さんから、涙ながらに書かれた長文のお礼状が届いた。
(付言)この様な、全国各地の人びとから、数十年間に寄せられた何万通という御礼状が、現在御神殿お二階に保存されている。
東京市外長崎村のHさん(二十四才)は、昭和三年二月に東大附属病院精神科に入院し、治療を受けたが五十日以上たっても、好転のきざしが無く、親戚の信者Oさん夫婦の勧めで、長洲に参拝した。 不思議な事には心配していた汽車の旅の、途中から様態が一変して快方に向かい、祖神様の御手数を約一週間戴いて帰ったが、その後生来かってなかった程の健康状態になり、熱心な信者の一人となっている。
(付言)この現象は、Hさんの先祖が子孫に、祖神道を教える為の霊のはからいで起こり、Hさんが祖神様のお導きを戴く気になった時から消え始めたもので病気としては、霊の障りに当たる。祖神様は、よく
と仰せであった。
熊本市唐人町B帽子屋主人は、重症の胃潰瘍に悩み、医者からも見放されたが、祖神様の御手数を一回受けただけで、病状が変わり危ういところで、一命をとり止め、今では毎月一日と十八日の例祭には、欠かさず参拝している。
胃潰瘍では、熊本第十三連隊のK中尉もこのために練兵を休んでいたが、父親同伴で参拝し前者と同様に快癒してから一家をあげて熱心な信者となった。
大牟田市三川町のS青年(二十才)は、十四の時から心臓が弱く、今年になってさらに悪化し、総ての医師からも見放された時、祖神様の噂を聞いて、直ぐ参拝し御手数を戴いたが、一時心臓が破れていた状態が、三日間のお籠りで、 病苦を忘れる様になって快癒し「再生の大恩は決して忘れない」と、熱心な信者の一人となった。
心臓病は不治の病いになることが多いが、
と仰せになって、多くの患者を苦もなく、お治しになった。
昨年末も、○○大学院で危篤となった者を、笏の一振りで治され、本人ばかりか、診断したL博士も「これは神秘だ」と驚嘆している。
(付言)心臓病は、肉体的よりも、その人に下る神の気(神障り)の為にかかるものが多く、本人の真が神様に通じ、神様の御許しが戴けると、直ちに治せるから、肺病などより治しやすいという意味のお話をなさった。
祖神様は、すべてをお見透しの力ある方でお解りになっている事でも、それを明らかにしては誰かの立場を悪くする場合には、容易に仰せにならなかった。
或る日、荒尾警察の刑事が、玉名郡下の放火事件犯人を知りたいと参拝したが、
と仰せになり、時機でなく、他に弊害があるとの事で、この時は犯人を明らかにされなかった。
熊本市のDさんは二、三年前から胃病が次第に悪くなり、千反畑町某医師に勧められ大学病院の某博士の精密検査を受け胃癌との診断が出た上に腎臓炎もあるとの事で、死刑の宣告を受けたかのように嘆いている時、ある信者の話を 話を聞いて参拝し一回御手数を戴き、
との仰せを信じて帰宅したが、その途中から気分一変、快くなり二週間もたたない中に元気回復、健康体となった。
私の友人が、祖神様に運勢を見て頂いたところ、何もかも的中したので、驚いた。帰ろうとした時、
と仰せなので、半信半疑で帰宅すると、台湾の家族から郵便為替でお金が来ていた。その後この友人は逢う人毎に、この話をして、祖神様の霊眼の偉大さをたたえている。