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その一:ある信者の言

昭和3年1月25日夜、天津神様(宇宙の大気が、沖洲の御神殿(熊本県玉名郡長洲町上沖洲83番地)に御光臨なさった翌26日から、祖神様は宇宙の大気と殆ど同様の御力を発揮され、宇宙に在る事柄を細大もらさず、明瞭に識別される様になられ、全く全知全能の力を現された。。

(付言)大正八年十月七日の夜、いつもの様に御神前に祈念をこめて居られると、突然口から約一升余りの血を血煙のように約十分間にわたって吐かれました。 この一瞬から祖神様には、御神力がおつきになり三界御見透しの御力を得られました。

その二:大正十四年 信者達へ

私は親孝行の為に力を得た、私は決して願をしたのでもなく、行をつんだのでもない。唯、生れつき親孝行をする事が好きである、一度も親に口答えせずそむいた事もなかった元来人間は、親あってこそ自分の体がある。 生まれたのも、育ったのも皆、親の恩である、親あっての自分で、我が身が大切なら、親は尚更大切で、殊に親の子に対する愛情は無限である、それを思うなら、どうして親を大切に思わずにいられよう。 親孝行が人間の根本だ。今日、私が神通自在の力を、神様から授かったのは、親孝行の一言からである。如何に利口な人でも、偉い人でも、親孝行をする事を忘れたら、その人は無価値である。 私は何神様を信ぜよとか、仏様は何様を信ぜよとか、決してそんな事をすすめるのではない、世の中は親孝行が第一で、親孝行さえするなら、成功もでき出世もできる。親孝行の心のない人は、病気もするし運も悪い。 これは現実のことだ、孝の功徳は広大無辺だ。「俺には学問がある、親は無学だ」と親を親とも思わぬ不心得者や、親は親、子は子だと西洋流の個人主義的思想にかぶれ、孝道の大徳を忘れている人が多いのは、実に嘆かわしい。 私の教えは 、孝行をせよ、その功徳は偉大である事にある。

その三:大正十四年 信者達へ

人間の根本は神である。人間はその分身であり、分霊である。本来は純真清明の霊である。然しそうあるべき霊魂が穢れている為、不幸を招き、不運にとらわれる。 霊魂を磨き本来の清明な心に帰らなければならない。それが、神に尽くすべき人の道であり、自己を全うする人の道である。

その四:大正十四年 信者達へ

人間には二つの霊魂がある。
一つは神様からの魂であり、一つは親様からの魂である。
神様からの魂は、男神様と女神様の魂からなり、親様の魂は、男親様の魂と女親様の魂からなりたっている。
神様からの魂は、平和を欲し、有難くなつかしく思う心を形成し、親様からの魂は、闘争を好み、自己の欲望を貫かんとする勇猛な心を形成する。この二つの魂が相調和して数々な人間の精神活動の根本をなしている。 神様の魂は神様から頂き、親様の魂は両親から頂くものである。

その五:大正十四年 信者達へ

人は孝と崇祖の二大道の外に、皇室に忠、神様に敬神の二事を忘れてはならない。
万国に冠絶する皇室が国民の上に君臨されているから国民は安心して生活できる。ややもすると大恩ある皇室を忘れるのは非国民だ。 皇室は血統上、又事実国民の大先祖で、大宗家である上、天皇陛下は天照大御神の御直系で、お体こそ普通の人であるが、その霊的真体は宇宙大天皇の御分身、天津日嗣であらせられる。

その六:大正十五年 ある信者の言

(付言)私は、四十三歳の時、大病にかかり、長い間、幾人かの医師をわずらわせて、一命はとり止めましたが、動きも自由にならず、半病人の状態でした。人の勧めでいよいよ決心してお参りしたのは、大正十五年の春、発病後三年目で、長洲駅から人力車で一里ばかりの道中、腰の痛みは耐えられない程でした。 そして、行き着いたところは、お宮でも何でもなく、ただのささやかな農家で、しずが伏屋と云うにふさわしいところ、一室の正面には、神棚があって、赤い旗、青い旗が飾ってあった様に覚えて居ます。 その前に白衣をつけ、笏を持った御方が一人座って居られ、隅の方には、お参りの人らしい方が数人居り、次々と白衣の方に呼ばれて、それぞれの悪い所を御指示頂いた上、いろいろとご注意や御手数を頂いて居ました。ある人には、

貴方の家には、神棚も仏壇も無い。神様に手を合わせたこともない。そんなことでは、今、貴方の病気を治して上げても、直ぐ戻る。これから先祖の祭りをするかな。

と祖神様は申され、「私は、次男ですから、それは、本家で致しております。」とその人が申し上げますと、

たとえ次男でも、まさか木の枝から生まれたのではあるまい。兄弟は、幾らあっても、皆、それぞれ先祖を祭らなければならぬ。

と御諭しになり、それからその人の病気を治されました。さて、神棚も仏壇も持たない私には、何と云われるであろうかと、コワゴワ待って居りますと、名も聞かず、所も聞かず、いきなり、

おばさんは、どこが悪いか。

とおっしゃいますから、「腰です」と申し上げますと、

羽織を脱いで、俯せになれ。

と申されました。その通りにして、私は、真の神様が、この人を通じて、私をお直し下さるのでなかったら、治らないでもよろしゅうございますと心の中で、念じました。

ここだな。

と私の痛いところを着物の上から押さえて、御手の笏を持って、いやと云う程、三つばかり御打ちになりました。こんなことをしてよいかと思って居りますと、

起きて見なさい。

とおっしゃいますので、起きて見ると、何と不思議、痛みは拭った様に消えてしまっています、寝がえりも自由にできました。

あんたは、それでよい。

と、云われ、次の人をお呼びになって、一向に何の御言葉もございません。下座に下がって待って居りましても、何の御言葉も無いので、教えられて来た通りに、わずかの御初穂をそっと置いて退去しょうとしました。

おばさん、一寸待ちなさい。

と申されるので、何事かと思いましたら、

貴方の拝んで居る神様は、それでよいが、先祖を祭らにゃいかん。

と唯、それだけの御言葉でした。私は帰途車中繰り返し、その御言葉を考えました。私の拝んで居る神様を、どうして御存じなのであろうか。この人は、ただの行者ではない。 真の神様を知って居られる。唯、一打ちで私の固疾を治して下さった。そもそもこの人は、何人であろうか、隠れたる神の預言者か、誠に不遜の至りながら、有難いと思いつつも、何か、見極めなければならぬという気持ちでございました。

その七:昭和二年一月七日 信者達へ

日本の神道では、造化の三神と云って、天御中主之神、高皇産霊之神、神皇産霊之神の三神を最高の神様即ち天津神様(天の神)と云って、御祭りして居るけれども、この三神の上に、男女の二柱の神様即ち男神様と女神様が居られる。この二柱の神様が、天津神様(天の神様)である。 この天津神様は、天地創造の神様であり、すべての物を御創造なされ、生み出された方である。天津神様は、宇宙の大気即ち、熱気と冷気で、人間の目や耳では、絶対に見ることも、聞くこともできない。然し、私には、それができる様になった。気としても、又姿としても、見せて下さる。 話も伺うことができる。現在の人々が云う三神とは、宇宙の大気から生み出された方(魂)で、この三神の他に水神御中主之神が、もう一と方居られる。この四柱の神様が、国津神で、我が国皇室の御先祖であられ、又、日本国を御守護戴く神様方であられるから、日本人は、いつも、その御恩を忘れずに感謝申し上げねばならぬ。 この松下は、神様に御仕えする様になって一番初めの頃は、この国津神様方の御力に依って、すべて御願いして居たけれども、今では、天津神様の御力に依って、すべて御願い申し上げて居る。だから、この神殿には、天津神様を御祭り申し上げて、御願いもして居る。

その八:昭和二年一月七日 ある信者に

人間は、正しい神様を求め、そして、信じ、感謝し、それから親先祖を大切にせねばならぬ。〇〇さん、子供達のことは心配いらん。これから、どんな苦しいことがあっても、他人を頼らず、貴方の力だけで頑張って、子供を育て、思う通りに勉強させてやりなさい。 くよくよせんでもよい。貴方は今日、ここに一人で来たと思うかな。貴女の里の亡くなったお父さんが、貴女を連れて来て居る。こんな顔形で、いつもこのような服装をしておられるだろうがな。良い所に行っているから心配はいらん、よかよか。

その九:昭和二年一月十日 ある信者の言

(付言) 最初の家から、四百メートル程、海岸寄りの所に、只今の御神殿と新宅をお建てになりました。御神殿は、御二階が八畳四間、下が八畳六間、四畳半一間の大きな農家風の造りでした。これまでの御恩を頂いた人達がさまざまな寄進を申し出ましたが、祖神様は、

神様の御許しがない。

と仰せられて御取り上げにならず、全くの御自力で御造りになり、足りぬところは、他から借金をなさって、御建てになりました。その時、

私はな、若い時から、借銭が上手でな。

とおっしゃいました。それは、約束の期日には必ず御自身持って行って御返しになるので誰もが安心して貸してくれるということです。

すべての物は、神様の物、神様が、人間に金品を請求なさることはない。

と仰せになりました。祖神様は、御手数料など御請求なさらないので、参拝者は、思い思いに御神前に御供えしましたが、その真心は御受けになりました。そしてその御供物は、決して人の手にはおかけにならず、必ず御自分の手で、おしまいになりました。 これを見た人で、神様と云われるお方が、金勘定をなさるなどと批判する者もありましたが、祖神様は、

人間は、納め物の多少をすぐ話題にして、悪をつくる恐れがある。

と仰せになり、決して納め物の額や身分などで、人を区別なさらず、皆、平等に接して居られました。

その十:昭和二年 ある信者に

神様の気は、事実人間の根本に宿っておいでになるから、人はその本質を磨けば、神様と合一することができる。
仏教信者が釈迦を拝み、キリスト教信者がキリストを拝むが、もし釈迦そのものや、キリストそのものを拝むのであったら、それは誤りで、釈迦やキリストの魂は磨かれて、神人合一であり、その霊魂にどうすれば近づけるかと修養し修行することが、信仰である。
合掌礼拝を幾百万遍繰り返しても意味をなさない。自分の霊魂を磨かなければならぬ。釈迦の精神に近づき、キリストの行為にあやかることを心がけてこそ真の信者といえる。
貴方が如何に、 松下自信を尊敬してもそれでは駄目だ。松下の思想、松下の行為そのものに、一歩一歩、見習って進むことが肝要である。かくして人間の罪障が取り除かれ、人は幸福を受ける。すなわち信仰の利益を受け得られるのだ。

(付言)祖神様を信仰するより自己の魂を磨くことを喜ばれる。祖神様に向かっていろいろな御利益を求めるが心底これを願うならば、哀訴嘆願する前に、自己の魂を清明にすること。祖神様は、人々の魂を磨く目標として、御自身が模範をお示しになっておられた。

その十一:昭和二年 信者達へ

どんな人でも、親の恩を受けない者はない。己の体も魂もみな親から得たもので、然も成長し成人するまで、その世話になる。親の恩は山より高く海より深い。大恩ある親に孝を尽くすことができない人が、盟友に尽くし、社会に尽くし、国家に尽くすことが、なんででできよう。 孝は百行の始めで人道の基礎である。どんな人も孝道を人間道徳の根本と心得ねばならぬ。 親より祖先、祖先より天地(神)へつながっている。人は天地(神)の分霊を頂き、親あってこそ我が身が存在する。親孝行は人にとって絶対の道で、人間の根源は至孝にある。私がこの様な御神力(天地の心霊と感応自在の力)を得たのも、ひとえに孝行の賜ものである。

その十二:昭和二年 信者達へ

人間の死は、形骸化であって霊魂の死滅ではない、人の霊魂は永遠の生命を有するもので、子孫の葬祭を厚くする事は祖先の霊魂を、慰嘸安堵させると同時に、その人の幸福 、生命も支配する。
人間は、孝行を尽くし、進んで祖先の霊を守らなければならぬ。それには、我が身の本である先祖の大恩を忘れずに、その霊魂を祭ることである。物質科学全盛の昨今、人間は死亡と共に滅するものと考えられているが、決して死滅するものではなく、事実に反している。 だから何よりも親に孝を尽くし、祖先を守ることを、第一に心掛けねばならぬ、若しこの道を怠ると、どんなに才知才腕の人でも、末路は親、祖先に見離されて憐れむべきものとなる。墓を大切にし、祖先の霊魂を喜ばす人には、必ず幸運が向いてくる。
物質万能の思想に迷う人は早く醒めて祖先の霊魂の実在を信じ、その霊を守る様精進努力しなければならない。
これが自己の運命を開き、健康を増進し、家庭が平和円満となる唯一の道である。

その十三:昭和二年 信者達へ

私は、貴方達に神様を信ぜよ、松下を信ぜよとは勧めぬ。貴方がたは、親様から貰った体であって、親様から育てられた体であるから、親を大切にしなさいと、こればかりを勧める。 人として親を忘れ孝行を怠るとその身、その家をほろぼす事になる。

その十四:昭和二年 信者達へ

私の霊力は天地宇宙の実在力であり、これが天地の力、神の力である。
人は万人ことごとく、天地のわかれ、分霊である。然し魂にいろんな穢れがあるから、天地宇宙の力と感通することができない。己の魂を清浄にし、穢れのないものにすれば、これと通じ神の力を得、神人合一の域に達し、何事も解る様になる。 私も今その途中で、修業に依って進みつつある。霊界の現象が見え初めたのが大正八年からで明年で十年になる。十年になれば思う様にゆけるはずである。

その十五:昭和二年 信者達へ

人間は魂を磨き、幸福になる為には、進んで同胞愛の自覚実行、即ち自愛、他愛の行為を必要とする。
人だけでなく、鳥獣、草木はもとより、小さなな虫けらに至るまで、みな天地宇宙の分霊である。
故に、共存共栄、相互扶助の精神をもって、共にその生を全うすることに努め、生命の本である神意に合することが自分自身の繁栄、幸福の基礎である。
他の人や生物を愛さないのは、天地、神を愛さない事で、自己を愛さない事になる。
自己を愛し、自己の本源である天地神明を愛する者は、当然他を愛することになる。
世上に現存する万物ことごとく、天地の分霊であることを自覚して、人は必ず同胞愛にめざめ、自他ともに神の分霊で、自己即ち他の万物と同じであることを、会得しなければならぬ。

その十六:昭和三年 信者達へ

人間の恩の最大なるは、親の恩で、親あって人の五体も出来る。親の恩が第一である。我々の親は先祖より、先祖の源は皇室より出ている。我々の一番大きな先祖は皇室である。
故に親に孝、天皇に忠、人に真心、これが日本国民道徳の根本である。

その十七:昭和三年 信者達へ

私は親孝行の徳によって、この力を得ている、精進努力の功を積めば、この神徳は今後益々強くなるが、若邪悪神を少しでも起こすと、直ぐ力は減る。

その十八:昭和三年 信者達へ

私が神様と語り、霊魂と会話する証拠は、どんな病人でもその口から聞くことなしに病状を知ること、又、医師に数年間もかかって猶、治らない慢性病や、見離された難病を、見る間に治すことが、これである。 特に遠隔の地にある病者を、代人の代参で治すのは、病人の魂を私の眼前に連れて来て、病状を知ることができるからだ。
私が、神通力を発揮して多くの患者を治す目的は、唯病者を救うと云うだけでなく、世の中には、人間の眼に見えない、霊界が厳存して人の運命を支配している事を立証し、物質文明に捉われて、精神界の因果律を忘却し、無視しつつある現代の人心を、眠りから醒めよとの神意を顕わすことにあるのだ。

その十九:昭和三年 信者達へ

つきものがした人の大部分は、人間の霊魂(死霊、生霊)が因となるもので、この霊的作用で発病したものは、現代医学が、全然霊界の知識を解さないから、慢性的疾患として取扱い、殆ど不治の病となっているのが実に嘆かわしい。これは現代医学の欠陥であって、唯物的にのみ研究して病気治療の解決を求めるのは問違いだ。

その二十:昭和三年 信者達へ

人間の祖先が猿であるなど、そんな馬鹿な事はない。人間の祖先も猿の祖先も、一様に神が創造されたものだ。人間は人間を生み、猿は猿を生むのだ、私の眼には、ちゃんと、人の祖先が見えている。 猿には猿の先祖がある。人間の祖先には猿は見当たらぬ。

その二十一:昭和三年 信者達へ

宗教は、ややもすると、いろんな守護神を先にするが、それは本来を誤っている、天照皇大御神様こそ、実にわが日本国民の大祖先である。仏教や耶蘇教は信仰をすすめる点では意義があるかもしれないが、我が国民の大祖先である伊勢大廟を忘れて、釈迦やキリストを第一に信仰するのは間違いだ。 日本国は神国である。我が国で万邦無比である理由は、天照皇大御神様を国民の大祖先として頂く国体にある。

その二十二:昭和三年 ある信者の言

ある時、祖神様に仏教の六神通の事をお話しして「天眼、天耳、他心、宿命の四通力を有されることは確信していますが」と言うと、

神足通とやらが、なかなか難しい、東京にも、大阪にも一度に行くことである。

と笑いながら仰せになった。
漏尽即ち、欲悪煩悩の解脱などは祖神様の大人格、即、完全な「玉」とも拝される。

その二十三:昭和三年 信者達へ

人の運命は、祖先より己に至る総決算である。

その二十四:昭和三年一月二十五日 信者達へ

昭和三年一月二十五日の夜、宇宙の大気が、この御神殿に御降りになった。

その二十五:昭和四年一月 信者達へ

私は、神様から三十七万年前に、約束されていた。

その二十六:昭和四年二月一日 信者達へ

女神様は、今から三十四億七千百七十八年前に、ユダヤに御降りになり、西洋を御開きになって、西洋民族を誕生させ、三百二十一年間に亘って、支配された。
男神様は、今から三十四億六千八百五十七年前に、日本国屋久島に御降りになり、後に高千穂に御降りになり、東洋を御開きになって、東洋民族を誕生させ、二百三年間に亘って支配された。

その二十七:昭和五年七月 信者達へ

人間の魂は、次の四魂より成る。
男神様の御魂の気ー頭の右側
女神様の御魂の気ー頭の左側
男親様の御魂の気ー頭の前部
女親様の御魂の気ー頭の後部
この四魂の気 が調和融合して一個人の気となる。この気が生命を司る、心臓を支配し、活動を促す。
男神様の御魂は水を司り、
女神様の御魂は火を司る。
男親様の御魂は働く事を司り金を支配し、
女親様の御魂は欲心を司り土を支配す。
人間が死ぬ時は、四魂の調和がほどけ、男神様と女神様の御魂の気即ち奇火の御魂は水と火の為、形を留めずして神様の御下に還り、男神様の御魂の気は骨となって墓に鎮り、女親様の御魂の気は塵となって土に還る。
女親様の御魂の気が頭の後部の上後方あることは、神のお定めになった法則で、女子は常に男子を差し置き出沙張るべきものではなく男子の活動を助け、後顧の憂いのないように努めることを示し、男親様の御魂の気が前部にあって働くことを司るのは、常に世の荒波に屈することなく前進し開発に務むべきを示す。
男親様の御魂を弱く頂いている人は、働く力が弱い為、気力乏しく邪神、諸悪霊に負け、犯されるため病気になり易い。
女親様の御魂の気は欲心を司る為、あらゆる事物を知るに敏感で、総てを、自己の為にと欲し諸計画を図る気で、善にも悪にも早い。
男親様の御魂の気を多く頂くと、身体壮健、働く力強く、女親様の御魂の気を多く頂くと善に進み、怜悧の人となる半面、悪にも進み怨恨の情強く悪行を働く。
日常の所業動作は多く女親様の御魂の気の働きで、男親様の御魂の気は、物事を考える性があるが、女親様の御魂の気にはこの性が少ない為、物事を軽率に行うことが多い。

その二十八:昭和五年七月 信者達へ

病気の種類はいろいろあるが、大別すると二通りになる。
 (一)肉体の欠損に基く病気。
 (二)霊魂の欠陥に基く病気。
肉体の欠陥に基くものは、不慮の災害や、自然老衰等の為、起る病気で割合に少なく、病者百人中、四、五人位である。
霊魂の欠陥に基くものは、病者百人中、九十五人を占め、病気といえば、みな霊魂の欠陥に基くものと言える。
霊魂の欠陥に基く病気には三通りある。
 イ、因縁のもの(霊界の因果関係によるもの)
 ロ、神障り
 ハ、憑霊
肉体の欠陥による病気は医学で治せるが、その他の病気は、霊魂の研究をしない医師によって治すことは困難で、大神様の御力に頼らなければならない。
 イ、因縁のものとは
  〇人を殺した場合
  〇他人を無実の罪に陥れた場合
  〇他人の財産を横領した場合
 ロ、神障りとは
  〇天皇陛下を罵倒した場合
  〇祖先を守らず、墓を荒らし、命日を忘れた場合
  〇大神様の御神体を粗末にした場合
  〇御神殿や墓地に小便をした場合
  〇大神様を罵倒した場合
このために起こる病気は、脳病、心臓病、肺病、肋膜炎、腎臟炎、花柳病等である。
 ハ、憑霊とは

他人の霊気や他の動物の霊気が、病者の体中に憑依するもので、この病気は、病所が霊の運動と共に転々として定まらない。
病気の種類は、神経痛、リュウマチ、テンカン、ルイレキ、 腹チブス等であり、動物霊には、狐の霊、蛇、蛙、鰻、犬、猫等の霊、その他がある。

その二十九:昭和五年七月 信者達へ

人間は天地宇宙の分霊であるから、自己を愛するように、他人とも相親しみ、相愛しなければ天罰を受け、決して幸運な生活を送ることはない。自愛即他愛であり、他愛即自愛である。
生命を奪われた怨恨や、寃罪を負わされた怨恨の霊の復讐は七代祟る。
鳥獣魚類みな悉く天地宇宙の分霊で、自己の存在と、生存欲とを有しているから、これを食べるのは自己の魂を磨く妨げになる故障を起す。
人の魂を汚す原因はまだ一つあって、それは自己の下の方から汚している、欲悪煩悩である。
親は最も我が身に近い。親の恩は最も大きいので、至孝の精神こそ実に人間の清明心の現われであって、霊魂の汚れをすすぎ清める唯一無二のものである。

   

その三十:昭和五年七月 信者達へ

 

私は、一心に願えば、唯の一度の御手数で、どんな病人も直す。

   

その三十一:昭和五年七月 信者達へ

 

神経痛、リュウマチ、その他、因縁、さわり、つきもの等はすべて魂の病気だから、通常、医師では、治すことが困難である。その理由は今の医学は死体の解剖等で肉体の構造組織を研究はしているが、生きた人体には、死体にないもの、即ち魂があることを研究せず、二道の空管や、冷熱の気について考究しない為である。  この霊魂の食物としての冷熱の気は、流入を中止されると人は死ぬ。その時魂は肉体を離れ二つに分かれる。
男神様の御魂の気と女神様の御魂の気は、神様のところに還り、男親様の御魂の気と、女親様の御魂の気は、墓地に鎮まる。

   

その三十二:昭和五年七月 信者達へ

 

地球の表面には清潔な空気のある所も、汚れた空気のある所もあり、又、病毒黴菌の充満するところもある。この様な空気のある所に住む人のうちには、二道の空管が、時折この悪い汚れた空気に感染して、調和の破れた冷熱の気を送り込まれるから、冷熱の気の働きが弱る、即ち魂の食物が弱い為に霊魂の力が弱くなり、魂の病気となって自然に肉体の病気となる。
 心臓に送り込まれる冷熱の気が平均を失い、温い部分が多くなると、造られる血液は蒸されて癩病の素となり、甘い部分が多過ぎるとその血液は肺病の素となるという様に、冷熱の気の調和を失うとき、魂の病気になる。冷熱の気が送られない時は、心臓の活動が止まり、心臓の活動を失うと霊魂の命令を肉体に伝える事ができない為、茲に肉体は分離し人生の終わり、死となる。
 人間はどうして生きているのかというと、この魂を養い心臓活動のもとになる冷熱の気が、二柱の神様から送り与えられるからで、この気が直接、人間の生命を司っている。
 換言すると、人間は男女二柱の大神様から直接に霊魂の養いとなる冷熱の気を与えられるから生きているが、この気が絶たれると、その瞬間が死であり、現世生命の終わりである。
 多くの人は食物をとって生きていると思っている。食物は人の生命に必要なものには相違ないが、一日二日食べなくても、すぐには死なず、断食をする人などは数十日も食物を摂らなくても生きていることがある。
 人の生命にもっと深い関係がある空気にしても、呼吸が止まれば死ぬから、空気は人の生命に最も必要なものに相違ない、しかし深く考えると、人為的に呼吸が止まっても、相当な時間が経過した後、人工呼吸で再び息を吹きかえし生命をとりとめることもある。

 

(付言)神様の御神気即ち御慈愛により人は養って頂き生きている。
神様は人の生命を一瞬にして、生殺与奪する御力を所有されており、この御力によって人は生かされている。

   

その三十三:昭和五年八月十八日 信者達へ

 

世の中で、神様と称して祭っているものの多くはみな、祖先の霊で、中には多少霊力を有し、人に幸福を与えるものもあるが、すべて迷える霊を助ける力はない。このことは天と地と人をお造りになった、二柱の大神様だけがおできになる。
迷っている霊の子孫が、大神様を信仰し、御慈悲にすがり先祖のお助けを願うとき、その信仰によってお助け下さる。
 人は二柱の大神様から直接、一刻一秒絶え間ない御恵みを頂く中で養われて生きている。それを知らず、自分の力で生きていると考え、無神論を唱え、神様の事を話すと、迷信だとするのは、沙汰の限りだ。
四大道は、不可分の道で、この中の一つ欠けても、神様の御心に副わない。
 どんなに神様を信仰し敬っても、家庭を円満にし忠孝に励まねば、祖先を喜ばすこともなく、死んだ後、その人の霊も良いところへ行けない。
人は神様を喜ばせ、先祖の喜ぶことを心がけねばならない。

   

その三十四:昭和五年十月 信者達へ

 

どの病気も原因は、多く魂の汚れに起因するから、医学の手で根治することが困難な場合がある。
人の生まれる時、肉体は両親から頂き、魂は神様から頂く。人が母親の胎内に宿る時、神様は魂をお授けになり、それを肉体で包んで生れ出る。
魂は男神様の魂と女神様の魂。男親様の魂と女親様の魂の四つの魂からなり、これを四魂という。
 母親の体内には、常に二柱の大神様から、二道の空管が続いているから、いつでも体内に宿った子供に、神様の魂を授けられる。
人はこの四魂の働きで生きていく。
第一にこの魂が、活動の命令を心臓に伝えると心臓は活動を始め、人体に最も必要な血液を製造し、大動脈を経て身体全部に輸送し、栄養を維持して人体の生命を保つ働きをする。心臓と肺蔵は体内で一番大切な機関である。
 心臓の内部とその働きを調べてみると、心臓には四つの部屋があり、第一と第二の部屋はその右側の上下にあり、第三と第四の部屋は、同じく左側の上下にある。
体内各部で要務を終わり、老廃した血液は、大静脈を通って心臓第一の部屋に返り、同時に胃腸からは、食物から摂取した血液の原料即ち乳麋液が部屋の中に流れ込む。第一の部屋では、このように浪廃した血液と食物から採った乳麋液を混合し新しい血液の粗ごしらえを始める。この第一の部屋の仕事は、男親様の魂の気が支配されるところで、ここで荒ましの血液の仕分けがされる。第一の部屋から第二の部屋に向う通路がある。第二の部屋からは、肺動脈を通り肺臓に行くようになっている。第二の部屋は男神様の魂の気が支配され、第一の部屋から来た血液を成分通りのものに仕上げ肺臓に送る仕事を司っている。
 肺動脈を通って肺臓に送られた血液は、未だ本当の血液ではなく、肺臓の気胞内にある空気の酸素と接触してその悪く汚れている部分を酸化し、正常な血液として、肺静脈を通して第三の部屋に送る。この部屋の仕事は女親様の魂の気の支配下にあり、ここで七部通りの、血液となって第四の部屋に送られ、ここで女神様の魂の気の働きで、十分清浄な血液となって、体全体の各部分に応じた血液として輸送される。
 第一と第二の部屋の通路に故障が生じると、そこに別の力が働き、血液の冷たい部分が失われるため、血液に暖かい部分が多くなるのと、第一の部屋で荒まし血液がつくられる時、混濁を整理しないまま第二の部屋に送り込まれることが癩になる原因である。癩病にはただ、一種類しかなく、男神様の御魂の気の仕事を妨げる。
風邪黴菌はよく心臓の外部を犯す。この時冷たい冷気がこれに抵抗する力を失うと、発熱する。この熱は通常医薬の力で治るが、この黴菌が第四の部屋に少しでも侵入すると、女神様の御魂の気のお仕事を妨げる結果、肺病になる。又、肺臓から第三の部屋に入る入口と第四の部屋から全身に行く出口のところに故障が起こる。
 第三の部屋の入り口の故障は、肺静脈から送られてくる血液の一部が、ここで留められて漸次停滞し、血液の甘い部分が多くなり、腐敗菌が生じ肺臓を犯す。肺臓内に停滞した血液を長く留めて置けなくなると、ある時気に肺臓の一部が破裂して喀血する。

 

(付言)肺病になると、血液の大半を、その組成の途中、肺臓と心臓の間で失うため、体内に送る血液の量が漸次減少して、栄養力が減り、衰弱する。

 

黴菌は純良清潔な血液内では存在し得ない。不純な欠点ある血液内にのみ繁殖する。第三の部屋と第四の部屋に通ずる通路には、因縁に基づく病気を生ずる故障がある。
第四の部屋の仕事は、女神様の御魂の気の支配されるところであり、多くの魂の病気は病原がここにある。特に大動脈に行く出口のところに最も多く、血液の冷熱の不均衡、甘い幸いの不等分、強さ弱さ、堅さ柔かさ等、十四通り以上の故障があって、その状態により異なった病気になる。
 この第四の部屋が病原となるのは、他の三つの部屋より多く、霊に憑かれたもの、神障りなどの病原はここにある。第四の部屋から大動脈に入る血液が熱い部分が多い時は、俗にいう、のぼせ症の病となり、冷たい部分が多い時は胃腸を損なう。
 心臓は肺臓と密接な関係がある、肺臓の呼吸と心臓の鼓動は、常に同一歩調をとらなければならない。呼吸の吸う力は女神様の御魂の気と女親様の魂の気の共同一致の働きで、左の鼻孔から入り、吐く力は男神様の御魂の気と、男神様の魂の気の共同の働きで右の鼻孔から出る。
 女神様の御魂の気と、女親様の魂の気とは、左に堅く結合していなければならない、もし少しでも緩む時は、吸う力が弱くなり、息苦しくなって病気を引き起す。結合が解けると、二つの魂は分離し吸う力が無くなり呼吸は止まる。
 心臓の四つの部屋には、四魂が働き、忠孝敬神崇祖の行いをする力が蘢っている。これに背く行いをすると魂を汚し、その働きを妨げ病気になる。
人間は一刻一秒を神様から直接養われている。常に神様を畏れ敬い、神様の御建て下さった、忠孝敬神崇祖の大道を守らなければならない。

   

その三十五:昭和五年十月 信者達へ

 

霊眼の開かれた人は、霊界のすべての霊と話せるから、この人を通じて、先祖や亡くなった両親家族の霊界での消息を知る事ができる。霊眼の開かれた人には、各人の胸に大神様からつけられた「記」があるのが見えて、それを見るとその人の生まれた系統と血筋が判然とする。

   

その三十六:昭和五年十月 信者達へ

 

天皇陛下の御血筋を引いている方には、胸の真ん中に大きな金色の筋が見え、皇族の方の御血筋を引いている人には胸に金色の中筋が見える。勤王家の血筋の人には胸に金色の小筋が見え、勤王家で出落ち人の血筋には胸の真ん中に小さな金色の筋が見える。又、勤王家に仕えた人の血筋を引く人には胸に銀色の筋が見える。
 母方の家系が同様の時は、胸の左方にこの通りの記が見える。
 逆賊の子孫には背部に鉄色の血筋が見え、逆賊で落ち人の子孫には背部の真中に鉄色の小筋が見える。

   

その三十七:昭和五年十月二十一日 信者達へ

 

男神様、女親様の二柱の大御神様は、世界の総ての物を造られ、これを治める力を司られるが、まぐ会いまして御子をお挙げになった。その第一の御子は御女子で順次御男子、御女子、御男子の四柱の御兄弟を生ませられ、第二の御男子を天皇として、天の下治ましめす御力を授けられた。
 これから二百三年後、さらに御女子を産ませられ、旧正月二十三日に、天皇の皇后としてお立てになった。これが人類夫婦の始めで、これから次第に人類がさかえる様になった。
 この頃は、世界創造の初めであり、日本の国などということは未だ無い太古で、世界は神の国、人の国、根の国だけがあった。故に天の下を治められるということは、即、世界を治め給う事で、天皇は実に世界統一の御方であられる。
 以来、皇統連綿として栄え、その間、或る天皇は、二柱の大御神様の御力を授かり、人間生活に必要な、衣食住の諸々をお造りになって、人類の繁栄をおはかりになり、以来、今日に至っている。
 天皇陛下は、宇宙創造の大御神様の御直系であって天津日嗣として世界に君臨される御方であるから、これを敬い忠誠の心を尽くして御奉公申上げなければならない。

 

(付言)代々の天皇陛下を通して、二柱の大御神様の御業はすべて完成されたが、これらの事実は、時代の変遷と共に忘却され、今日に至っては絶えて知るものもなし。この沖の州に鎮座し給う大御神様は、宇宙万物がいかにして造られ、以下になり行くかを、祖神様を通じて明示され、人類救済の道を明らかにして下さった事は、人類にとって、大きな救いである。

   

その三十八:昭和五年十一月十六日 信者達へ

 

神様から造られたものには、生命を与える力はない。神様から造られたもの自体には、生命がないからで、神様が、お造りになられたものに生命をお授けになって、初めて活動、成育する。
 眼に見える第一のもの、太陽は、神様から光と熱を受け、それを動かして地球上の全生物に伝え、成育を助けている。太陽は神様が御仕事をなさる、一つの道具で、その又、奥に、生命の根源である、大神様は居られる。
 神様から、生命の力が、太陽を通してこの地球上の、生きている全ての物に、ながれこんで来る。そのお力の出るところは、それを受けるものにより、異なっている。
太陽の表面からは全人類に、右側からは全獣類類に、左側からは全鳥類に、下方からは草木その他、地上、地中総てのものに流入する。
 太陽の上方からは、地球を照らす大きな光が来ている。太陽の向う側と上方には、神様の御力が特に充満している。太陽の内部は、想像を絶する強力な光と熱で満ちていて、これはみな、神様が太陽を活動させる為、与えられた御力である。
 神様は、太陽と月から、全人類の一人一人を繋ぐ、二本の空管を通じて、生命の力を各人の魂に送られている。
太陽の表面から人類には、女神様の御魂の気が来て、人間の左鼻孔と左の耳孔から入り、頭の上部にある女神様と女親様の御魂の気に入り、さらに進んで心臓の第三と第四の部屋との通路へ、熱い霊気として流れこむ。
 この空管が通過する場所によっては、故障を生じることがあり、悪い空気が、汚れた場所を通る時は、空管が汚れて、自然に魂の糧道を妨げることがある。
人間は、女神様から、太陽を通して熱い霊気を、又、男神様からは、月を通して冷たい霊気を、直接に頂いて生命を持続している。
 太陽と月は、二柱の大神様が御協力の上、御造りになられたものであり、神様の御魂の気は、どちらにもあるが、太陽には女神様の御魂の気が多く、月には男神様の御魂の気が多い。

 

(付言)以上は神的現象であるが、自然的に見ても太陽は、神様の御力を受けて、光と熱を発し、これを融合して地球上の、生きとし生るものの育成を助けて居り、その光さえも、人間の肉眼では直視する事はできない偉大なもので、これだけのものを、太陽としてお現しになされた、大神様の御力は計り知れない。
 人は、太陽を通して、神様の偉大な御力を信じなければならない。人は太陽を通してその奥に、鎮まります大神様を拝まなければならない。日本の村々に祭られている社には、御神殿御内陣の前に御鏡が置かれているが、これは御神体ではなく、御鏡の奥に鎮座まします、神様の御神威を現わしたもので、恰も宇宙の大神様の前に太陽があって、その御神威を現されているという有様を、型取ったと云う。(この意味の御言葉あり)古くから、日本にこの習慣のあることは意義深き事である。

 

人類には、男神様の御魂の気が来て人間の右の鼻孔と右の耳孔から入り、頭の上部にある男神様と男親様の御魂の気に入り、更に進んで心臓の第一の部屋と第二の部屋との通路へ、冷たい霊気として流れこむ。
この冷熱の両霊気が、人間の魂に神様が御授けになる、魂の糧で、二柱の大神様から直接に人間に流れ込んでいる。
 この空間が太陽を起点とする場所で、故障のある場合、多く癩病その他因縁による病の基となり、俗は、つきもの、さわり、お知らせ等みな魂の状態から起こる。

   

その三十九:昭和五年十一月十八日 信者達へ

 

宇宙にある星の一つから一管の道が、その星につながっている人の、頭上にある、俗に「ギリギリ(つむじ)」と称するところに達しており、その星と人との間に、その人特定の気が通じている。

 

(付言)天空に輝く多くの星が、人間と密接な関係があるという事を、知る者は少ない。昔から人と星の関係を論じて、九星の法、星回り等というのがあるが、荒唐無稽として一笑には附されない。
一例をあげると、一組の夫婦の間で、主婦の星の位置が主人の星よりも高い時は、常に何事も主人に負けることを嫌い、反抗して相争う傾向となり、星の合わない者が出会う時は、互に反目する事などがこれである。

   

その四十:昭和五年十一月十八日 信者達へ

 

人間は霊魂と肉体とからなり、その関係は霊魂が主人で肉体が従者である。霊魂は肉体に左右されないが、肉体は霊魂の命令で動作するから、主体と従体である事が解る。肉体は物質であるから、物質自然の法則に従い新陳代謝を行い補給を受けて、その生命を維持するが、物質は有限なので老朽死滅がある。
 霊魂は物質でないから、この法則によらない。従って霊魂は永久不滅のものである。
霊魂は神様から頂いたものであるから、人間が神様の御心に従わず、反する行為は罪となり、副わない行為は汚れとなって、霊魂も又、この罪穢れに染まり、人生の障害となって現われる。
永久不滅の霊魂が、有限の肉体と合一しているのだから、いつかは二つに別れる時がある。これが人間の死であり、肉体は物質なので再び元の物質に還る。霊魂は不滅なので何処かへ行かなければならない。
 この霊魂が何処に行くかを定めるのは、その人の在世中の素行に依る。

   
 
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